講談杮落とし

仕事の合間に読んだ本やドラマ、アニメ、映画の記録です。

『人類最強のときめき』あらすじと感想(ネタバレ含む)

こんばんは。

皆様いかがお過ごしでしょうか。こけらです。

本日は、西尾維新さんの『人類最強のときめき』です。

人類最強のときめき (講談社ノベルス)

 

 【最強シリーズ】3冊目となる本書。
 【最強シリーズ】は、西尾維新ファンならお馴染み、【戯言シリーズ】に登場する《人類最強の請負人》こと哀川潤が主人公となって、常識を越えた魑魅魍魎を跳梁跋扈する短編集です。

 以前「メフィスト」にて掲載されていた短編「哀川潤の失敗」も同時収録されています(うれしい)。そういえば「メフィスト」、春はお休みでしたが、2021年秋からリニューアルされて再開するみたいですね(うれしい)(【世界シリーズ】が待ち遠しいです)

 

tree-novel.com

 

 

 さて、どうしていきなりシリーズの3冊目なのかというと、

 面白い

 の一言に尽きるんです。

 面白くて面白くて、たまらずこうして感想を書き残しておきたかったのです。他の【最強シリーズ】や、『人類最強のヴェネチア』ももちろん購入して読破しましたが、語り部哀川潤のシリーズの中では、個人的に一番好きでした。「これこれ、これだよ! 西尾さんのこういう話が読みたかった!」となりました。なんて勝手な読者でしょう(反省)。

 5つの短編の中から特に好きだった1つ『人類最強のよろめき』について書かせていただきます。 

 

 

 

 以降ネタバレまみれ

 

 

 

『人類最強のよろめき』

「潤さん。活字を滅ぼしてください」

 短編の中では2番目に掲載されている作品です。

 

 あらすじ

 ER3システムのニューヨーク支局支局長にして七愚人の一人、因原ガゼルから仕事の依頼が舞い込んだ。ER3システムのある女性若手研究員が開発したAIによって創作された「小説」の破壊。その「小説」は、手に取る人の好みに合わせて自動生成されており、あまりに面白すぎて寝食を忘れて読みふけってしまいそのまま読者は衰弱死してしまう。既に数百人の死者が出ており、なんとその研究員は一般社会への無料配布を目論んでいるらしい。世界が滅ぼされる前に、人類最強は「小説」を滅ぼすことができるのか……!

 

 

 登場人物

 哀川潤(あいかわ・じゅん)・・人類最強の請負人

 ドクター・コーヒーテーブル・・・・プログラマー

 因原ガゼル(いんぱら・がぜる)・・・・・七愚人

 長瀞とろみ(ながとろ・とろみ)・・・・哀川潤

 

スペシャルサンクス)

 由比ヶ浜ぷに子(ゆいがはま・ぷにこ)・・・・妹

 

 

 『ライト・ライター』と『パブリック・ブック』

「――いいですか、『パブリック・ブック』に関しては、読みもせずにイメージだけで批判して下さいよ」

 最悪の読者だな。

 

 小説を自動生成するプログラムの正式名称が『ライト・ライター』です。古今東西の小説が電子化され網羅されており、統計学に基づいて小説を書くシステムです。カメラで読者の表情を読心し解析、好みの小説を作りあげるというもの。電子書籍の究極版みたいなものですね。そして表情の解析には、哀川潤の実質的な妹である由比ヶ浜ぷに子のOS(読心術)が活用されているとのこと。

 哀川さんが機械である彼女を「妹」とたびたび表現しているところが、何とも感じ入るものがありますね。

 

 そうして作られた小説が『パブリック・ブック』。寝食を忘れて死ぬまで読み続けざるを得ない傑作。ある意味「世界の終わり」を体現していますね、どこぞの狐面を思い出します。少し話は違いますが、ドラえもんの秘密道具にも「要望に応えた漫画を作る」ものがあった気がします。確か「まんが製造箱」……でしたっけ…?(うろ覚え)

 

 この辺りで、「あーナルホド、『パブリック・ブック』読む前に、哀川さんが電子書籍ごとぶっ壊すんだろーなー、結局読む前に壊せばいいとか言うんでしょー、いつもの展開じゃんー」と、私は読みもせずにイメージだけで批判してました。最悪の読者です。

 

 由比ヶ浜ぷに子の詳細は、同じく【戯言シリーズ】スピンオフ、【人間シリーズ】第3作、『零崎曲識の人間人間』をご一読下さい。こちらも傑作です。

 

 

 

 

 哀川潤、砂漠へ行く

「ご来駕、まことに感謝いたしますと言うしかありませんね。人類最強の請負人哀川潤様。」

 

 哀川さんは、アメリカのテキサス州の砂漠のラボに籠城していた、全ての元凶の研究員を訪ねます。意外とあっさり入れました。砂漠の地下には国家図書館もかくやというくらいの大量の本棚があり、最下層に彼女はいました。

 その名はドクター・コーヒーテーブル。写真より痩せて、伸ばしっぱなしの髪の毛も白髪化して、衰弱していました。戦えないくらい弱る、哀川さんへの対抗手段でした。バッテリがギリギリの状態で『パブリック・ブック』を読むことで、その状態を作っていました。読んでたらバッテリ切れ、実際にあったら嫌です。

 

 そしてコーヒーテーブルから、ページの左側が軽くなってくると、読み終わりたくないと思う。もっと読んでいたいと思う。だから終わらない(終わる前に死ぬ)小説を作った、という動機が明かされます。その気持ちはとても分かります。あー、もっとこの物語の世界を堪能したい、と思って、最後の一行を読了した後にちょっと寂しくなることありませんか? 私はあります。結構な頻度で。

 そして二人の会話の最中、コーヒーテーブルは一冊の紙の書籍を手渡します。

 何気なく受け取った哀川さんですが、それこそが『パブリック・ブック』でした。

 

 

 生きている書籍

「言語の壁はおろか、デジタルデバイドさえも無視できる――これぞ『究極の小説』としか言えませんね。」

 彼女は言う。か細くも骨太な声で、得意げに言う。

 

 『パブリック・ブック』は、紙の書籍でした。手に取った者が触れた手からバイタルチェックを行い、人工生物がインクで文字を刻み、皮脂や汗を食べて動き続ける、書籍の形をした一つの生態系でした。電子書籍ですらなかった。表紙すら、もう読者の好きなものへと変容し始めていて、破壊することもできない。電池も必要ない。

 読む人さえいれば永久に動き続ける生きた本

 哀川さんも血の気が引いています(あの哀川潤が!)。この展開は予想できなかったのでやられたなと思いました。電子書籍との対比で「紙の本~」なんて言われている昨今ですが、これは躍進です。

 コーヒーテーブルちゃん、やるじゃん(何様)!

 

 

 ドクター・コーヒーテーブルという人物について

 ――そのコンプレックスこそがこのすさまじいまでの応用性を生んでいるのだと思えば、やはりドクター・コーヒーテーブルは天才の名に恥じない研究者だった。そう言われるのが嫌なら天才以上だ。

 

 普通に敵なのですが、私は彼女が好きです。

 彼女については、作中での評価があまり良くないです。長瀞さんはオリジナリティがないとか、お勉強ができるだけの秀才とか散々なことを言ってます。

 出来のいいただの秀才。オンリーワンにはなれない呪いを課せられた者。

 『めだかボックス』の阿久根高貴、『黒子のバスケ』の氷室辰也や、『テニスの王子様』の白石蔵之介(彼は例外かな)あたりでしょうか。まあ確かに、鴉の濡れ羽島へ招聘されるタイプの人ではないと思います。ブギ―ポップも、彼女を「世界の敵」とは認識しないでしょう。

 『ライト・ライター』にしろ、『パブリック・ブック』にしろ、由比ヶ浜ぷに子のOSを使い、人のバイタルを観測し、過去の小説をデータ化して統計を取り、と、自分で何も生み出していないんですよね。誰にも並び立てないけどすごい。めだかボックス』の言葉使いの一人、杠かけがえを彷彿させます。

 

 彼女のすごいところは、そのコンプレックスを最大限利用して、「世界を滅ぼす」までに至ったことです。普通自分の駄目なとこって見たくないんですよ。敵ながらあっぱれ、という程でもないですが、その姿勢は見習いたいですし、ちょっとだけ応援したいです(やってることは国際犯罪レベルなんですけどそこはご愛敬で)。哀川さんがそんな彼女を「天才以上だ」と認めた時は嬉しかったですね。

 まあ直後に論破されるんですけどね。

 

 鴉の濡れ羽島については、西尾さんのデビュー作『クビキリサイクル 青色サヴァン戯言遣い』を参照。

 

 

 

 オチ

 そうかい、そうかい。でもさあ、熱中のあまり、読んでる途中に力尽きて死んじゃうんじゃ、誰もこの本を読了できないとしか言えないんじゃね?

 

 哀川さんがコーヒーテーブルちゃんにそう言うと、彼女はそのまま踵を返して、何も言わずに地上に出ていきました。おしまい。

 作中でも触れられていますが、小説って終わるんですよね。シリーズとしては続いていても、その一冊が終わらないとなれば、それは小説とは……確かに言えません。

 漱石の『明暗』や太宰の『グッド・バイ』など、未完の小説も確かにありますし、オーケストラの曲でも未完成のものもいくつかありますが、途中であれ中断であれ、終わっていることには違いがありません。読み終わらない小説なんて、そもそも読もうとする人がいるでしょうか。

 好きな小説をずっと読み続けたいという動機がそのまま瑕疵になってしまった

 ちなみにコーヒーテーブルとはソファの前に置かれる背の低いテーブルのことで、その上に置かれる部屋の景観のための本を、コーヒーテーブルブック、と言うそうです。

 読むためではなく置くための本。うっかり飲み物こぼしちゃいそうですね。

 若気の至りを見事に論破した哀川さんは、手に取った『パブリック・ブック』を破壊せず、地下の本棚の中にそっと入れました。「妹」への供養とお別れ。相変わらず身内に甘いですが、変わらぬ潤さんも悪くないですね。

 

 

 感想

 超面白かったです。特に「好きな小説をずっと読み続けたい」「読み終わるのが寂しい」に大変共感してしまったこと、ドクター・コーヒーテーブルという人物の魅力、「妹」に対する哀川さんの甘さ、最高でした。書くモチベを保てないので他の短編については省略しますが、どれも面白かったです。

 もっとこういうの書いて下さい(面倒なファンの典型)。

 

 

 蛇足

 偏屈な小説家や読書家は、「倒れてきた本に埋もれて死にたい」などと言うことで自意識を保とうとします(自戒)が、彼らは果たして『パブリック・ブック』を手に取るのでしょうか。

「大好きな本を読みながら死ぬ」。

 知っての通り、死んだらそこでおしまいです――どこぞの狐面の言葉を借りるなら、「物語の終わり」です。まだまだ物語も人生も読み足りない私は、手に取るわけにはいかないようです。

 

 まあでも、幸せなまま死ねるって、幸せですよね。

 

 

 というわけで、西尾維新さんの『人類最強のときめき』でした。

 これにて擱筆

 

 こけら